2014年5月9日金曜日

与えられたものをどう使うか、「嫌われた勇気」を読んで

今、書店でベストセラーになっている『嫌われる勇気』という本があります。
人から薦められて読んでみてはまってしまいました。
最初に電子書籍版で2度読んで、書籍版も購入して3度読みました。
こんなに何度も読む本は久しぶりです。

この本はフロイトとユングと並ぶ心理学の3大巨人のひとり、
アドラーが説いた心理学について、青年と哲学者の会話という形で書かれています。

アドラー心理学では、「すべての悩みは対人関係の悩みである」と考えています。
従って、幸せであるために、対人関係から自由になることを求めている。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、
承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、
自分の生き方を貫くことはできないと説くのです。
だから、タイトルが『嫌われる勇気』なのですね。

ところで、どうしてこの本のことをこのブログに書こうと思ったのか。
我田引水なのかもしれませんが、
このアドラーの考え方が、システマに近い部分があると思ったからです。

たとえば、アドラーはこう言っています。
「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」
これって、「システマ的」と思ってしまいました。
サバイブするということは、自分の体力・知力やまわりの環境など、
「与えられたものをどう使うか」が大切であることに他なりません。

そのためには、自分に「与えれたもの」をよく知らなければなりません。
システマのTシャツには「know yourself」(汝自身を知れ)と書かれていますが、
まさにそれです。
システマのワークはこの「与えれたもの」を知るためにあると思っています。
(前のブログに書いたギフトを見つけることにも通じます)

最初に紹介した「他人からの評価を気にするな」というのも、
システマワークにも通じるのではないでしょうか。
いろいろなワークをやっていると、自分が上手く出来なかったり、
他の人から下手だと思われているのではないかと気になります。
システマにおいて大切なのは、他人と比較して上手くできたかどうかではなくて、
自分がどう出来たか、自分が何を感じたか、
そのワークから何を得たかだと考えています。

あくまでも個人的な感想に過ぎませんが、
システマをやっていると、意外にアドラー的な姿勢が身に付くこともあるのかもしれない、
などと勝手なことを考えてしまいました。

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