2014年4月30日水曜日

「型」がないシステマに思うこと

システマ湘南では、まだあまりスパー(スパーリング)はやっていませんが、
システマの場合、スパーをやっても、型がないため、
 初心者はとまどいがちです。

 海外からのインストラクターが来日してデモ(見本)を見せてくれても、
 「真似してないでください。自分の動きを見つけてください」 と言われて、
当初、私もずいぶんと違和感を覚えたものでした。
 「自分の中にすでに動きの答えがある」 と言われても、
「えっ?」という感じでした。

 システマは軍隊格闘技です。
軍隊に入隊したら、いつ出兵を命じられるか分かりません。
私も長年やってきましたが、
合気道などの「型」武道だと、型を覚えるのに時間がかかるし、
実際に使えるようになるまでは、さらに時間がかかります。
試合がある格闘技は、「型」武道よりも使えるかもしれませんが、
それでも短期間にマスターするのは大変でしょう。
自分の中から生まれた動きであれば、
 たとえそれがたった一つ二つの動き(技)であってもすぐに使えます。
実戦性の意味から、システマに型がないのだなと納得したのは、
後になってからでした。 

最近思うのはシステマのこうした発想の背後には、
やはりキリスト教があるのではないかということです。
システマは、そのバックボーンをロシア正教に置いています。
私は正教にはそれほど詳しくないのですが、
キリスト教一般論で言いますと、
神はそれぞれの個人を世界で唯一の者として創っています。
であるからこそ、自殺は許されないのであり、
キリスト教においては輪廻転生もありえません。 

英語では才能のことを「ギフト(GIFT)」と言います。
神が世界で唯一の者として創った「あなた」に、
神からの贈物が「ギフト」であるというわけです。
スティーブン・キングの小説を読むと、
(私の場合、もっぱら映画なのですが)
主人公に与えれた超能力を「ギフト」と表現しています。 

システマの「自分の動きを探し出す」というのは、
この「ギフト」を探し出すことに通じるのではないかと思っています。
あなたには(神が与えた)あなたなりの動きがある、
それを見つけることが大切なのだ――。
あくまでも個人的な感想なのですが、
最近、システマのワークをやっていて、そんなことを感じています。

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