システマ湘南では、まだあまりスパー(スパーリング)はやっていませんが、
システマの場合、スパーをやっても、型がないため、
初心者はとまどいがちです。
海外からのインストラクターが来日してデモ(見本)を見せてくれても、
「真似してないでください。自分の動きを見つけてください」
と言われて、
当初、私もずいぶんと違和感を覚えたものでした。
「自分の中にすでに動きの答えがある」
と言われても、
「えっ?」という感じでした。
システマは軍隊格闘技です。
軍隊に入隊したら、いつ出兵を命じられるか分かりません。
私も長年やってきましたが、
合気道などの「型」武道だと、型を覚えるのに時間がかかるし、
実際に使えるようになるまでは、さらに時間がかかります。
試合がある格闘技は、「型」武道よりも使えるかもしれませんが、
それでも短期間にマスターするのは大変でしょう。
自分の中から生まれた動きであれば、
たとえそれがたった一つ二つの動き(技)であってもすぐに使えます。
実戦性の意味から、システマに型がないのだなと納得したのは、
後になってからでした。
最近思うのはシステマのこうした発想の背後には、
やはりキリスト教があるのではないかということです。
システマは、そのバックボーンをロシア正教に置いています。
私は正教にはそれほど詳しくないのですが、
キリスト教一般論で言いますと、
神はそれぞれの個人を世界で唯一の者として創っています。
であるからこそ、自殺は許されないのであり、
キリスト教においては輪廻転生もありえません。
英語では才能のことを「ギフト(GIFT)」と言います。
神が世界で唯一の者として創った「あなた」に、
神からの贈物が「ギフト」であるというわけです。
スティーブン・キングの小説を読むと、
(私の場合、もっぱら映画なのですが)
主人公に与えれた超能力を「ギフト」と表現しています。
システマの「自分の動きを探し出す」というのは、
この「ギフト」を探し出すことに通じるのではないかと思っています。
あなたには(神が与えた)あなたなりの動きがある、
それを見つけることが大切なのだ――。
あくまでも個人的な感想なのですが、
最近、システマのワークをやっていて、そんなことを感じています。
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